60歳からの人生をどう生きていくか?
私は今56歳ですが、60歳まではこのまま仕事を続けてその後も再雇用で継続して働く予定です。
しかし、再雇用になるとこれまでとは仕事の内容も給料も変わってくるでしょうし、その影響で
プライベートの過ごし方も変わると思います。
そのタイミングで今よりも私的生活を充実させる方にシフトしたいと考えています。
同じような年齢で同じような境遇の人も多いと思います。
そんなあなたは60歳からどんな仕事をして、どんなプライベートを過ごしたいと考えていますか。
まだまだ先のこととして考えられない人も多いと思います。
ですが・・・
これはずっとこれまでの人生が続く事を前提に考えている事です。
どんな仕事をしてどのように過ごすか、という前にもっと基本的なことを考えて
おかなければなりません。
この先生きていく上での大前提です。
それは人は予告なく死んでしまうことがあるのだ、という現実です。
突然この世からいなくなる・・・
これまでも事件や事故は頻繁にあり、そのたびに沢山の人が亡くなっています。
最近では知床沖の観光船が沈没し、たくさんの犠牲者が出てしまいました。
この事故を見て、明日命がある保証はどこにもないのだな、と強く思いました。
考えてみて下さい。
この事故に遭った一人一人は今日突然命を終えると考えていたでしょうか。
旅行先としてたまたま北海道を選び、知床へ行き、観光船に乗る・・・
場所は違えど誰もが考える普通の旅の過ごし方だと思います。
そしてこの旅行どころかその先もずっと人生が続くものと考えていたはずです。
それはホントに日常の一部としか言いようがありません。
その普通の生活の中で突然命を落としてしまったのです。
このように命が突然絶たれるということが、誰にでも起こりえることなんだ、
という不思議な感覚に、私が最初に襲われたのは大学生のころだったと思います。
それは日航ジャンボ機の墜落事故です。
一瞬にしてたくさんの命が犠牲になりました。
犠牲者一人ひとりには墜落寸前まで私達と同じようにそれぞれの生活があり、
その生活の一部としてその移動手段を選び、事故に遭い帰らぬ人になったのです。
この飛行機に自分が乗っていても不思議ではないのです。
私が今日乗った車が事故に遭い命を落としても不思議ではないのです。
事故だけでなく事件に遭って亡くなる場合もあります。
命を落とすこととそうでないこと・・・どちらがたまたまなのでしょうか。
たまたま事故や事件に遭ってしまった。これまでたまたま事故や事件に遭わずに来ただけ・・・
いずれにしても確率は低いのかもしれませんが、いつだって人は突然命の終わりが
やってくることがあるのです。
だらだらと書きましたが、明日いや今日にでも死ぬかもしれないというのは、
誰にでも起こりえる現実です。
こんな現実を私たちは普段完全に知らぬかのように過ごしています。
でも心の奥底では皆がこのことを知っていて理解しているはずです。
心の表面を覆う「過去の出来事」や「将来の不安」を考えるのに忙殺され、肝心なことを
知らないかのように過ごしています。
また頻繁に報道されるこのような事件事故に鈍感になり過ぎているのではないでしょうか。
人生100年時代と言われますが、何か実感がわきません。
突然命を絶たれることもあるという現実を考えた時、「過去の後悔」にとらわれず、
「将来の不安」もそこそこに、「今ここ」に集中する生き方が大切なのではないかと
思います。
今をどう生きるか・・・常にあるのは「今」だけです。
「今」には過去も未来もありません。
これには年齢は関係ありませんが特に残された時間が少なくなった私たちの世代は
覚えておくべき大前提だと思います。
いつ死んでも良いように、これからは「今」を大切に、「今」すべきことは何か、
そして「今日」すべきことは何なのかを考えながら生活出来ればと思います。
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